上瀬加

上瀬加の歴史

兵庫県神崎郡市川町、上瀬加(かみせか)。
岡部川をさかのぼった、瀬加谷の奥の村。
十柱の神々が、ひとつ社に集う村。

地名——「勢賀」の上手

約1300年前の『播磨国風土記』に見える「勢賀(せか)」——品太天皇(応神天皇)の狩りの伝承を持つ、古い地名です。瀬加の谷の上手(かみて)にあたることから、上瀬加。中世には「世賀庄」という荘園に含まれていたことが知られています。

江戸時代——姫路藩の上瀬加村

江戸のころ、この村は神東郡に属する姫路藩領で、正保の郷帳には「上世加村」として田方353石余・畑方106石余が記されています。江戸後期の天保の郷帳では584石余——谷の奥で、少しずつ田畑が広げられていったことがうかがえます。

明治——瀬加村の大字へ

明治22年(1889年)、町村制の施行により、上瀬加は下瀬加・上牛尾・下牛尾の三つの村とともに合併し、瀬加村の大字となりました。明治29年(1896年)には神東郡と神西郡が合わさって神崎郡が成立。市川を境に東西へ分かれていた古い郡が、ふたたびひとつに戻りました。

明治41年——十柱の神々、集う

明治41年(1908年)、山の上にあった八坂神社を中腹へ移し、拝殿を新しく建てて、村内にまつられていた神々をあわせてまつりました。あわせて十柱——それがそのまま社の名になった、十柱(とはしら)神社です。村じゅうの神さまがひとつ屋根に集った、と考えると、なんともにぎやかな社です。

昭和三十年から現在——干支の見守る村

昭和30年(1955年)7月、瀬加村は川辺村・甘地村・鶴居村と合併して市川町となり、上瀬加はその大字として現在に続いています。年の暮れには十柱神社に、村の有志がつくる干支の飾りがすえられ、新しい年を迎えるのが近年の風物詩。谷の奥の村に、いまもたしかな暮らしが続いています。